福山琴について


福山琴の歴史

福山琴の歴史は、元和5年(1619年)水野勝成(徳川家康のいとこ)が福山に城を築いた頃に始まると言われています。
江戸時代の城下町では、武士や町人の子女の芸事が盛んであり、備後十万石の城下町福山でも水野・松平・阿部と続いた歴代藩主の奨励もあって、歌謡・音曲が盛んに行われました。
江戸の終わり、文化年間には京都で箏曲を伝授された琴の名手、葛原勾当が帰郷して備後・備中120あまりの町村をまわり、その弟子の数580余名、その影響もあり福山を中心として、早くから琴が生産される土壌ができたと言われています。
また、「春の海」で有名な箏曲家、宮城道雄の父、菅 国治郎は福山・鞆の浦の人で、先祖代々の墓は鞆の南禅坊にあります。
全国有数の生産地として知られ、楽器として初めて伝統的工芸品に指定され、地域団体商標にも登録している福山琴は、瀬戸内海のちょうど真ん中に位置する風光明媚な城下町、福山で生まれます。

福山琴・日本の伝統美と技 ―ほり・まきえ・こう―

『彫』
琴の甲の裏面に施す極めて精緻な装飾模様の彫りは、音響効果と装飾効果の上で大きな役割を果たしています。
種類としては、超高級品の麻型彫りをはじめとして、子持綾杉彫り・綾杉彫り・簾れ目彫りがあります。

 

 

 

『蒔絵』
琴の装飾部分で重要な役割を果たすのが蒔絵です。
蒔絵は、漆で文様を描き、あるいは地塗りを施し、金・銀・スズ粉等を蒔き付けたもので、漆を使う技法の中でも最も美術的で世界が認める日本独特の工芸です。
琴では竜舌や磯の部分にこの蒔絵が使われ、琴に華麗で繊細な美を与えています。

 

 

『甲』
琴の等級を決める上で一番重要な基準が甲の木目の複雑さです。
複雑な木目が現れている琴が高級品とみなされ、音色も良いとされています。
また、木目の浮き出し具合、焼きの色具合や艶も美しい甲の条件です。
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